2010年3月7日日曜日

サイレンス



突然ですが、私は美術大学で、映像を作ったりしておりましたが、3年時からはほとんど写真制作をしていました。
美大を選んだのもいくつかの理由がありますが、主な理由に『自分の内側に広がる言葉では表現できない映像を形にしたい』というものがありました。

そして卒業制作で、私は偶然に写真でその映像を表現できる世界に出会いました。
ただ、その時は大学を選んだその理由など忘れていましたが。。。

テーマが決まらずに、長い間焦りの中で悩んでいましたが、ふとカメラのレンズを向けた先に、ファインダーに広がる白い山脈に、私の心が一気に静まり返り、その風景に自分の内側が呼応しました。

ファインダーに写る白い山脈は、くしゃくしゃにされた只の白い紙でした。白い壁に白い紙が、白い風景を作り出していました。

それで、私は、この卒業制作を通して、自分の中に、とても深い内側に、神聖な静かな世界があることを知りました。
そしてその世界は、私の内側だけでなく、みんなの心の内側に繋がっていると観じました。それは植物や岩にも生命あるものすべてワンネスという意識だということに、その制作を通じて気がつき始めました。

私の作品を、あるキュレーターの方が『あなたのは色即是空の世界ね。』とおっしゃいました。


通常、私達は外側で起こる出来事や出会いで、ハートはテンション上がったり下がったり、時にはイライラしたり、こころ踊ったり、悲しんだり、心が汚れてると感じることもあります。
しかし、だれもが、静かな内側に広がる世界を持っています。
現代では、なかなかそういう世界に気がつかない方が多いでしょうが、その一方で、世間ではヨガが流行り、瞑想をする人々も多くなってきています。


私は大学卒業後から瞑想を始めました。
最初はなかなか、外側の世界に注意がいったり、“あれしたい、これしなきゃ。”等とこころがじっとしないものですから瞑想もつまらないどことか、逆にストレスになってしまう時もありました(笑)。

しかし、今は違います。自分の中のサイレンスが心地よく感じるようになりました。
静かにただ座っていることが、気持ちよく、その場のエネルギーが浄化されるのがわかります。



余談になりますが、そのきっかけは、たまたま練習台として禅タロットのセッションを受けることになった時、私の本質に“サイレンス”の美しいカードが出たこと。
それで、自分の中のサイレンスを大事にしていいということに、自分に対して許しを得ることができたのだと思います。

それまでは、自分の中に静かなソースを持っているのに、人前で黙っていることに小さな恐怖を抱えていましたから、その静かな部分を押さえつける自分がいました。
でも、その夜の湖を月が照らし、夜空に浮かぶ眼を瞑った女神の絵がサイレンスのカードと教えられた瞬間に、胸をなでおろすようにホっとしたのです。

それから、静かでいることがホントに楽になりました。
そして瞑想も楽に、心地よくできるようになっています。

内側のサイレンスの中に居る時間を持ち続けると、きっといろんなことが好転していきます。
気付き、そして開いてきます。
皆さんは、静けさの中に居ることを大事にしていますか?

masako

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